あたしブログ

一昨日、「ケータイ小説大賞」大賞受賞作品として公表されたその日のうちに、ネタのテンプレートと化した「あたし彼女」。ブログをその文体に変換するジョーク・サービスが早速登場。仕事が早い!

あたしブログ 〜あなたのブログを2008年最高のケータイ小説形式に変換〜
ねとらぼ:「あたしブログ」——あなたのブログをケータイ小説大賞作品っぽく変換


ところで、「Deep Love」や「恋空」の時以上に物議を醸してる感じの「あたし彼女」だが、個人的には途中まで読んでみて(3章まで読んだ)、別に良いんじゃないの?と思ってる。ぶっちゃけ、単に下手な日本語で陳腐すぎるストーリーをgdgdと展開していた「Deep Love」や「恋空」より、「あたし彼女」の方が(えも言われぬ)新しさ、奇抜さはある。

これを小説のジャンルとして見るからいけない。というか、ケータイ小説は小説という単語がついてるけど、何か別のものとして考えれば、目くじら立てなくて済むし、実際ケータイ小説と所謂今までのカテゴライズでの小説は別のものだと思う。とりあえず、どっちが良いとか悪いとかはなしにして、だ。

あたし彼女」に書いてある何かは、日本語の文字を使った、文章とは違う別の何か、である。そう捉えれば、それはそれで面白い気がしなくもない。詩、というには散文的かつ長過ぎるが、日本語のような、文に見せかけた何か、と思えば、何かしらの評価を得ることは、あながち間違いではないと思う。

だいたい賞自体が商売のネタを探すためのものだから、大賞受賞、200万贈呈に相当する価値があるかどうかは、主催者が判断するところでしかない。自分が金出して読みたいかと聞かれれば、1円でも出したくはないと答えるが、電車の中で暇つぶしに、ちょっと見たことのない何かを体験するくらいは悪くない。4章以降を読むかどうかは判らんけど。

それに 200万というのも、主催した彼らがこれからこれを書籍化して本を売り、メディアミックス展開して儲けようと皮算用をしている金銭からすれば十分些末なものだ。作者へは書籍化した分について多少払うことはあっても、メディアミックスについてはほとんど対価を払うことはない契約になるだろうから、ブームに乗ってちょこちょこと売ってアレコレできれば元は十分取れる、と判断したのだろう。

そして、こういう大賞受賞作品ってのは、そういう先の展開に見合うものを選んでいるだろうし、当然選ぶべきものだから、その作品の質云々で決まることではないし、そうそう目くじら立てても意味はないのでは?と思う昨今。